想い深く母になる

桐成(とうな)ママさんより

もともと無痛分娩を考えており、違うクリニックに通っていましたが、悪阻の症状がひどく毎日数十回の嘔吐と頭痛、動悸があり、クリニックで相談しても「みなさん一緒なので」と。点滴をしながら仕事に通う日々は本当に心が折れそうになりました。
私の両親、私、妹は全員看護師ということもあり、普段から「生と死」について話すことも多く、私自身、助産師実習生の方に取り上げていただきました。また、当時には珍しくお父さん、おばあちゃんにも立ち合いをしてもらっており、妹が産まれる時には当時3歳だった私も立ち合いをしました。所々ですが今でも幼い頃の記憶が残っています。
そんな幼少期の背景があってか、どこか機械的なクリニックの流れに違和感を感じていました。旦那さんに相談すると最初は「助産所って大丈夫なの?何かあった時どうするの?」と心配の気持ちが強かったのですが、かん助産所を見学し、車に乗った瞬間に二人で見合わせ「うん。ここだね!!」と。他の助産所も見学する予定でしたが全てキャンセルしてここで出産することを決めました。健診の度に様々な知識や旦那さんへの心構えを教えて下さり、かん先生にお会いできるのが私達の楽しみとなりました。そして自然とこれから生まれてくる子供について旦那さんとも話すことが出来ました。
予定日が近づくなり今までの妊娠生活を振り返ると本当に様々な事があり、妊娠を通して出産前からお腹の子どもに教わることが多くありました。“もしも何かあった時に”というキモチが常にあり、今まで「後悔しない人生にしよう」と生きてきました。今、この出産を直前に“子どもに会える楽しみなキモチ”、“旦那さんに支えてもらったありがとうのキモチ”を手紙に書き、何かあった時は見てねと伝えていました。
そして出産の時。朝から軽い陣痛があり、でもまだ余裕があったので散歩に行くと20分程で歩けなくなるほどの痛みに変化していきました。先生に電話をし、ゆっくりお風呂につかり、1回1回の陣痛で複式呼吸を繰り返し「今日は旦那さんもお休みで、母もお休みなんだよー!今日産まれてきていいよ。」と何度もお腹の赤ちゃんに話しかけました。助産所に到着する頃には子宮口6~7㎝。今日中に産もうと心の中で決めました。痛かった陣痛も旦那さんの支えがあり何とか乗り越えられました。破水してから30分。無事出産。赤ちゃんが頑張って出てきているという感覚をしっかりと感じることができ、最後はツルッと出てきた感覚がありました。そして旦那さんと一緒に頑張ったことで出産後、より旦那さんの存在が大きいものであると感じることができ、より大スキになりました。
ここで出産して本当に良かったです。

助産師より

他院で妊婦健診を受け無痛分娩を希望されていたママ、健診の度に自分の思いとのギャップに悩まれ助産所に訪ねて来られました。ママは看護師さん。自分なりにお産に対する思いもあり、その思いに対し納得のいくお産ができるかと悩まれ、又、自分の中にある多くの質問に対する答えやケアが受けれるか悩まれていましたよね。
私は自然分娩がいちばん母にもお腹の子にも優しいお産だと話しましたよね。けれども自然分娩(自分が産むお産)は正しき妊婦生活を送り、出産に適した心と身体を自分自身で作り、出産に臨まなければならない。その為のサポートを私は行うのよ。とお話ししたと思います。(こんな風に書くと自然分娩はとても難しいように思いますが、規則正しく食べ、眠り、動き、学び、心ゆるやかに過ごすとこなんですが・・・。)ママはとても頑張り屋さんで、いろんなお話聞いてくれました。そして真剣でした。妊娠初期の頃、赤ちゃんが生きているか心配で、夜訪ねて来られたことがありましたね。超音波で元気な赤ちゃんを見せてあげたら本当に安心された様子でした。お母さんはいつも赤ちゃんのこと心配ですものね。出産後、時が経ち、この文章を書いていると、今のママのしっかりと成長した姿が思い浮かびます。お母さんになっていきますね。