やってみてわかること

2020年11月9日

2020咲茉

咲茉(えま)ママさんより

私は地元一宮を離れ東京で生活をしています。姉が助産師になった頃から姉は「私があんたらの子を取り上げたるから!!」と。そして私も「赤ちゃんは姉に任せる!」というのが夢でした。しかし実際ビビりな私は痛いのが怖すぎて、姉に相談もなしに無痛で産める東京の病院を調べまくっていました。姉に伝えると、自然に産むことを進められましたが私は頑なに「無痛分娩で東京で産む!」と一点張りでした。こんなやり取りが2か月ほど続き、一度かん先生と話したみたら?と言われ、お正月の忙しい時期にかん先生の所に行きました。赤ちゃんや私、旦那さんの事を考えたありがたいお話と姉の絶対的なかん助産所でのお産のススメにここでお任せしようと覚悟を決めました。姉のあの溢れ出す自信は今でも忘れられません。その後、コロナの影響で立ち合い出産が出来なくなりましたが、姉の「私はずっとおったるでな!」という言葉に感動&安心しました。
お産当日、かん先生と姉の息の合ったコンビネーションに衝撃を受けました。どうしても身内の姉に痛さで大泣きの私は甘えっぱなしでしたが、かん先生はバランスを取ってひたすら厳しく、そして優しく、赤ちゃんが無事生まれてくるよう誘導してくれました。喝を入れて下さって、ようやく私は“この子を産むんだ!!産まないと、この戦いは終わらないんだ!”と覚悟を決めました。旦那さんはリモートで参加でしたが陣痛が始まったくらいから6時間も(寝ていて)電話に出ず、本当に腹が立ち、まぢで東京戻ったら覚えとけ!とイラっとしながらも生まれる頃にはやっとで繋がり無事リモートで見せることが出来ました。
姉は旦那さん役にと助産師のマリさんを呼んでくれました。陣痛が弱まりつつあった後半、マリさんのサポートとかん先生のゴットフィンガーと姉の「ここ大事なとこやで!!がんばれっ!!」という言葉と全てが重なって、無事姉の手に生み落とすことが出来ました。夢が叶って良かったです。お産はとても大変で、痛いし怖かったけど、チームワークの良さと、実家のような居心地の良さで安心して産むことが出来ました。何よりもかん先生の人柄が良く、私は入院中ずっーと笑っていました。こんな楽しいお産と入院生活になるだなんて想像していなかったです。そして、姉の同級生のプロカメラマン、陽子さんにお産&ニューボーンフォトを撮影して頂きました。私は美容師をしているのですが、このスペシャルメンバーのプロフェッショナルなお仕事ぶりを拝見できました。
改めて、生まれ育った一宮で、幸せな環境で、出産できた事をありがたく思います。あっ!そして忘れてはいけない、旅館のような贅沢なお食事は最高でした。お料理の勉強にもなりました。スタッフの皆さまも優しく親切で癒されました。かん先生をはじめスタッフの皆さんや姉もマリさんも生き生きと楽しそうに働いていました。私も復帰したらこんな風に働きたいなと思いました。きっと2人目もこちらでお世話になります。次こそは寝坊助旦那に最初から最後までしっかり付き添ってもらおうと思います。

助産師より

出産や育児は話を聞いただけでは理解できません。多くのママたちは『こんなに大変だなんて!!』とか生まれた我が子の泣き声を聞きながら『こんなに育児がつかれるものだなんて!!』と弱音を吐き、1人で全てを乗り越えることの難しさを訴えます。どんなに説明してもやってみて初めて解ることってありますよね。ママも同じだったと思います。栢下助産師もそのことをよく知っているから、東京で生もうかと考えている妹(咲茉ちゃんママ)を愛知に帰って来なさいと一生懸命説得し続けました。ママはコロナが心配な時期にパパから離れたくない気持ちもあっただろうけれども、栢下助産師自身、自分の出産・育児で苦しい思いを持った上での説得だったと思います。コロナ禍でたった一人で産むママ達が増えてます。東京でもきっとひとりでのお産になったかもしれません。栢下助産師は妹がそんな思いをすることが嫌だったのでしょう。無事出産し不慣れな育児で苦しまないよう一人立ちができる1か月過ぎまで自分が母となり姉となり支えようと頑張っていました。側で見ていて本当に偉いお姉ちゃんでした。初めてのリモート出産。沖野助産師と3人でタックを組み、臨み、素晴らしいお産になりました。(長いお産となり、途中弱音が出たママの気持ちを支えることが出来たかな?)その後もママが育児の自信がつくまでしっかり見守ることできた気がします。ママよく頑張ったね。栢下助産師もお祖母様の役割をやり抜きましたね。とても素敵な姉妹でした。